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人生を形作る忘れられた記憶

卒業式をやってる。

 

おかげさまで同級生とかは今でも付き合いがある友だちがいるのでありがたい。

学生時代の友だちは今から作ろうと思ってできるものではないので、本当にかけがえのない存在だ。

 

SNS時代なので、卒業してから疎遠に・・・と言ってもSNSではつながってるみたいなケースもあって、いい時代だなと言いながらハイボールを傾けるのだ。

 

僕は知り合いは多いと思われがちで、実際そうかもしれない。

それを叶えているのはきっと、インターネットのおかげだろう。

大昔は周りにいる100人くらいの村で人生を終える人もいたかもしれないが、

今は一生に出会う人、SNSなども含めたら何万人、下手したら何十万人かもしれない。

 

僕はそこそこフォロワーを持っているので「インスタ見てます」と声をかけられることもたまにある。そういうことが出始めた頃は「怖いな」と思っていたが、周りにいる人が知り合いかもしれないという緊張感はだらしなく暮らしている僕にはちょうどいいのかもしれない。

 

もはや、誰が知り合いとかそうでないとかはもうどうでもいいのかもしれない。みんながそう思い始めると、人間関係というものが液状化して何もかもおなじになり、悲しみも、苦しみも世界から消えるかもしれない・・・みたいな世界は碇シンジくんが否定していたので多分そんなに良いもんじゃないはずだ。

 

悲しみや苦しみに満ち満ちた世界を生きている僕だけども、一緒に一日だけのバイトでかなり仲良くなったけど「またどこかで」と別れたきり名前も顔も覚えていないあの人や、近くにコンビニも自販機もない泊まりのバイトでタバコがないと苦しんでいたので1箱あげたら強面の顔を崩して可愛く笑っていた若い子は今どうしているのかなぁ。

もうあっちも覚えていないだろうし、眼の前に現れたとしても僕も気づけない。

 

それでも、ああいうやつがいたなぁという記憶が残っている。

記憶に残っていないけども、一緒に楽しい時間を過ごした人もいる。

 

もはや思い出すこともかなわない記憶もきっと僕の人生を彩って・・・彩りのある人生ではないけども、何かしらのパズルのピースであるはずだ。

 

卒業式は、「お前の周りにいる、あるものはこれからの人生を形作るものだよ」と教えてくれるイベントなのかもしれないね。

 

一流大学や優良企業に入れる未来の明るい人も、苦しいいじめを受け続けた人も、これからどうするかわからない人も、会場にたどり着ければ、卒業証書という紙を貰えれば、平等にその瞬間はやってくる。嬉しかろうが、辛かろうが、寂しかろうが、何も感じなかろうが、その時間はやってくる。

 

「また会えたら良いね」

 

その時はそう思えないこともあるかもしれないが、時間がたつに連れ、オトナになるにつれ、そう思うことも出てくる。

 

おっさんになると、卒業式というワードがどんどんエモくなってくるよ。

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