子供の頃から奇行に走りがちで、人を困らせること数知れず・・・
大人になると、人と同じことができない、期限に間に合わない・・・
まぁ死にはしない、と思い込むようにしたり、人に助けてもらったりしながら生きてきたのだけど、30も過ぎて色々大きなこともやらせてもらうことも増えてきたのでそろそろ何とかせねばということで、あの疑惑に向き合ってる。
発達障害。
いわゆるADHDを疑ってるのだけど、特徴的なところで「不注意性・多動性・衝動性」。
僕のことを知っている人は「ああね」と思うかもしれない。
大事なところやツメのところでやらかす不注意性。
興味あることにやたら集中するけど飽きたらすぐに次に行く多動性。
思い立ったら即行動に移す衝動性。
実は結構この気質に助けられてはいる。一方で、これが足を引っ張ってることも少なくない。
確か、こういう病気・・・病気なのか・・・の存在に気づいたのは確か25歳くらいのころ。一言一句間違ってはいけない書類を作る仕事をしていたころの話し。
徹底的に時間を使ってみても、集中してチェックしてみてもその時はいいけどもなかなか続かない。
なんでだろう、と思っていた時に世の中にはこういう性分の人がそこそこいることをネットで知った。
もし自分がマジでADHDでカウンセリングなり、薬飲むなりで改善するのであれば・・・と思ってきた一方で、もし良いところまでなくなってしまったら僕は僕でなくなるかもしれない、この歳で普通の人になってしまったら普通の人以下だ・・・なんてあれこれ考えているうちに、30も半ばになってきた。
そんな中、「ADHDでよかった(立入 勝義 著)」という本に出会った。
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「大学入試で全敗」これはかなり心に響いた。
僕は中高は進学校の私学に行かせてもらっていたが、全く芽が出ずこの著者と同様、大学入試全敗という結果だった。
なんとか滑り込もうと思っていた公立大学推薦に落ち、センター試験も惨敗でもちろん国公立前期後期は不合格。滑り止めなのか、行ければラッキーなのか、私立大学も5校くらい受けたが不合格。
この本の著者は一浪後、海外に渡ることになった。
僕も実は、父に「お前はアメリカでも行って皿洗いでもやってみたらどうか」と言われていた。
「それもいいなぁ」と心が揺らいでいたが、いざ行こうかと思っていたところ、アメリカにいるという父親の知り合い(誰だったんだろう)に、今は危ないから来ないほうが良いと言われ諦めざるを得なかった。
そう、2001年のアメリカ同時多発テロの翌年、まだまだ世間はテロへの恐怖感が高まっている時代だった。
紆余曲折はあったけども、結局浪人をしてそこそこの大学に行くことができた。
大学4年間もろくに勉強もせずに好き勝手やって、なんとか卒業はできた。
そして社会人・・・に多分なれなかった。
新卒で入った会社を1年で辞め、3回の転職を経験した。
優先順位がつけられない、問題を先延ばしにする、計画的にものごとが進められない自分にとってなかなかの苦痛を伴う20代を過ごした。
20代後半で「イベント企画」「ブログサイト運営」がなんとなくできるようになってきた。
なぜ「できる」と感じたのかというと、あまり苦痛を伴わずにそこそこの結果を出せる事に気づいたのだ。むしろ好きなことである。
色々な人から声をかけてもらえたり、仕事をもらうようになってきたのだが、その中にも「自分があまり得意じゃない」ことが潜んでいる。
それを安請け合いすることで人に迷惑をかけることがある。
これは何とかせねばということと、先に紹介した「ADHDでよかった」の著者の経験がどことなく自分とかぶる部分があったので、心療内科にかかってみることにした。
本の著者は病院にかかり、専門家の意見を聞いたり治療をすることで、むしろADHD的な気質を才能へ転嫁させている。僕ももしかしたらそうできるのではないかという期待がある。
病院にかかったのは「病気的なものを治したい」のではなく「自分との付き合い方をもっと知って人生をより良くしていきたい」という理由からである。
どこの病院にかかるかが大事というところもあるが、とりあえず大人のADHDの診察をしてくれる近所の病院に行ってみることにした。
たまたまであるが、そこにはその筋ではかなり有名な先生がいらっしゃったようだが、ご高齢で診察してもらうのにかなり時間がかかりそうだったのでその先生はあえて避けた。
恐らく時間もかかるであろうこの取組、話を聞いてもらおうと思えばすぐ会える先生がよかった。
20代後半に病院かかってみようと思ったときは相談したところが悪かったのかちゃんと話を聞いてくれなかったので電話越しで断念したが、そこはとりあえず来てみてくださいという風だったので行きやすかった。
診察をしてくれた先生に、これまでの人生のことや、自分なりにADHDの症状に近いものを持っていること、今の仕事の状況などを伝えた。
すると、「色々たくさんやってるようだし、その中のいくつかは失敗して当たり前だよ。やってること全部こなせる完璧な人間はそんなにいないよ?あなたは十分すごいとおもうよ」と。
ええかっこしいの人間なので苦しいところはあまり人に言わないのだけども、意を決して言ってみてよかった。
続けて先生は、「確かに、発達障害的な生き方はしているようだけど、グレーかもしれないので検査してみましょう。ただ、今の働き方は危険だね。いつまでもその働き方できないでしょ」と。
確かに。
昼間はいわゆる本業の仕事、夜は副業というか自分の仕事をしている。
ここ数年で無理も効かなくなってきた。
そして、「発達障害の人はうつ病になりがちだから、今の働き方は本当に見直したほうがいい。それだけ働けるなら、もうサラリーマンはやんなくていいんじゃない?」とも。
まさに今悩んでいることだ。
さらに「働き方を見直すなら、あなたの場合はきっと”好きなこと・得意なこと”に注力していけばいいはずだよ」と。
これだけ話してもらってだいぶ気が楽になった。
ということで、最近色々と検査を受けてるとこ。
病気でないから治せないという話もあるけども、これは治療ではなくて自分との付き合い方を改めて知るための作業。
学生時代に流行っていた「自分探し」とか、最近流行っている「自分と向き合う」みたいなのはアホがすることだと思っていたけども、最近良い自分と悪い自分をしっかり探して見つめてみようとしている。
この記事で、発達障害がどうとか、どうやって克服していくかみたいなところを見せたいわけではなく、もしかしたら僕と同じような感じで悩んでる人がいたとしたら、「君と同じっぽい人もここにいるから、多分大丈夫だよ、なんとか生きてはいる」というのをお伝えしたい。
先日、夏休みの宿題を終わらせられず、先生に叱責されたあとに命を絶ったという中学生がいたそうだ。顔も見たこと無いけども、その子になんとなくシンパシーを感じてる。僕に相談してくれればよかったのになぁと思うけども叶うはずもなかった。
そういう人を救いたいなんてたいそれたことは言うつもりはないけども、もし「わたしも似たような感じで」という人がいたら、色々方法はあるかもだよというのをお知らせしたいところです。