小中学生くらいのころ、実家には漫画誌が山のようにあった。
僕の「少年ジャンプ」「少年マガジン」、そして「ヤングマガジン」。
妹の「りぼん」「なかよし」。
さらには母の「BE・LOVE」「You」。
少年漫画からレディコミまでなんでもござれのラインナップ。
その中でひときわ異彩を放っていたのが「ちびまる子ちゃん」だ。
りぼんに連載されている乙女チックな少女漫画に囲まれほのぼのした可愛らしい女の子の物語のように見えつつも、なかなかブラックなことを言ったりしている。
そのセンスに惹かれ、作者のエッセイまで読み始めた。
このとき初めて「文章で人を笑わせることができる」ことに気づいた。
早速エッセイを・・・とまでは行かなかったが、
すでにコンクールで賞状をもらったりしていた文章に磨きがかかったようには思う。
しかし、作文コンクールはあれは「成績がいい子」がもらう傾向がある。
そこそこできた小学生のころはコンクールのたびに入賞していたが、
ダメダメになった中高時代はまったくもらえなくなった。
その頃の唯一の思い出は「親を呼ばれるレベルの事案を起こし、親まで呼ばれ反省文を読まれたのが褒められた」くらいだ。
そこから数年、大学にあがりmixiブームが到来。
そこで「文章で人を面白がらせる」という作業をコツコツと重ねていた。
今はいいねという機能があるけども、当時はひたすらコメントをしてもらおうと必死だった。
それが社会人まで続き、ブログやらネットメディアみたいなものを作った。
すると、記事で紹介した店にはそれなりに人がやってきてお礼を言われたり、
テレビ・ラジオ局の人が声をかけてくれ、番組レギュラーまで持たせてもらうようになった。
じいさんの死のくだりでゲラゲラ笑わせられるあの才気には一向に近づく気配はないけども、今なお一目見ることもなく死んでいったあの人の方向を見ている・・・とまで仰々しいことは言えないが、それなりに影響は受けていると語れるくらいにはなりそうになっている。
あれだけ健康に気を使ってたのにあたしゃ情けないねぇ・・・
なんて思ってらっしゃるのかもしれないし
そういうふうにできているのだ
と全てを受け入れて旅立って行ったのかもしれない。
最近はたまにコジコジの新作を見るくらいで、ブログをしてたことも知らなかったし、実際会ったこともないので実感なんかまるでない。
今となってはその程度だけども、僕が今こうしているのはさくらももこさんのおかげかもしれないので、静岡の方へ向かってお礼の一つは言わないといけないだろう。ちびまる子にお礼を言う日が来るなんて夢にも思ってなかった。
どうもありがとうございました