オルタナティブカルチャーとかカウンターカルチャーとかサブカルチャーみたいなのがカッコいいなと思って、ちょっとトガッた系目指した地方の情報を扱うサイトを立ち上げて早4年。
そういった方向で走れた気がしてたけど、テレビやラジオに出てしまって、
うちのネタ(人様のものだけど)がちょっと話題になったりして。
それはとてもとても自尊心を満たすものであったし、
関わる人も喜んでくれた。
「こんなはずではなかった」みたいなことは全くないけども、
オルタナ云々では完全になくなっちゃったかなという感じ。
王道の話題を作れてしまった。
地方ではオルタナ的なものがスケールアップしにくい。
そもそもそれが特徴であるはずだけども、地方では絶対数が少ないので
行きていくことが難しいレベルでマイナーにすらなれない。
「カルチャー」になれなかったものが大多数存在していたはずだ。
ネットの世界でいうと「鹿児島 情報サイト」なんかで検索すると、
僕がやっていることを目指して立ち上がったであろうサイトの墓標が立ち並んでいる。
今まさに動いているものもあるけども、多くは死にゆくものであろうと見ている。
僕はあのサイトで「鹿児島のカルチャー」を作る役目に携わりたい。
といえば「お前はまたデカいことを言うなぁ」と言われそうだけども、
実はそんなに大したことじゃない。
身の回りの人たちと、「あの時代はこうだったねぇ」と語れるのがきっと自分たちのカルチャーだ。
2017年に鹿児島市内で「センベロ」に火がつき、僕が火付け役だった(と言ってくれる人が大変多い)。
「んなことねーよ、流行ってねーよ」と思う人がいるかも知れないが、僕がブログで取り上げたセンベロ店の記事は数万PVのアクセスがあり、鹿児島でも人気のゴールデンタイムの番組でも紹介され、沢山の人がその店を訪れた。
「2017年の秋くらいって、センベロが流行った」というカルチャーを作ったのだ。
それは、決して僕一人の仕掛けではなく、センベロのお店を作る人がいて、それを取り上げた僕がいて、それを面白がったTV局の人がいて、面白いと思った人が実際に行ったという感じで、作るから消費するまで僕らがカルチャーを作っていると言っていいだろう。
150年前に西郷さんだちが成し遂げた明治維新なんかもある意味カルチャーと言える。一連の流れは歴史家、歴史ファン的な人たちが熱心に分析・検証をしている。
しかし、戦後辺りからココ数十年のことについてはイマイチ注目されない。
ボクらの時代はこれからの世代の模範になるかもしれないし、反面教師になるかもしれないがとにかく「ああいう時代があったのだ」と振り返られる時代をつくりたい。