という広告がだいぶ前からたまに話題になるのだけど、
良い悪い論は別として桃太郎はなぜ皆殺しにしなかったのだろうか。
子鬼はなんとか難を逃れたのか。
はたまた桃太郎が情をかけたのか。
きびだんご程度で命がけの戦いを挑まされたイヌかサルかキジがこれを狙って逃したのか。
ともかく桃太郎一派は一族郎党皆殺しに失敗した。
これがどれだけの悲劇を生むか。
人類の歴史を紐解いてみても、凄惨な殺戮の生き残りがリベンジを果たすという出来事はいくらでもある。
しっかり皆殺しにしておけばシャア・アズナブルは現れず、ザビ家は隆盛を極めていたかもしれない。
ミネバ・ザビも生き残っていなければハマーン・カーンはただの怖い感じの女の子だったかもしれない。
一族郎党皆殺しを仕掛けたときは確実に皆殺しにしないといけない。
一人も残すことなく。
そして、かくいう鬼たちもおこめやお金、宝を盗む時に村人を皆殺しにしていれば「ももたろう」という天敵は生まれなかったかもしれない。
もっと言うと、鬼たちは昔、村人たちの祖先に凄惨な殺戮の被害にあっているかもしれない。
人類の歴史をたどると、こういった類の争いは人々が農耕を始めた頃からあるらしい。
豊かな土地を奪い合い、作物を奪い合い。
今となってはその源流の源流にたどり着く術はないけども、何処とも知れず争いが始まったんだろう。
無事リベンジに成功した集団は歴史に名を刻めたが、本当に皆殺しにされて歴史から抹消された人たちもいるのだろう。
そういう意味では、子鬼も是非リベンジを果たしてほしいものではあるが、そこでもやはり皆殺し、根絶やしにしないといけない。
ただし、子鬼が村人たちを根絶やしにしてもきっと鬼たちはその成果の分配で争いになる。
そして、現代社会はこの「リベンジ」というのが非常に難しい。
戦争を仕掛けて皆殺しというのはほぼ不可能だ。
当事者でない他の勢力にリベンジを果たされるような仕組みになってるっぽい。
最近では経済というフィールドでのリベンジも可能になっているっぽい。
人類は平等を実現することで良い世の中にしようという思想も生み出したが、歴史は史上というフィールドで争いを続けることを選んだ。
未だに世界中で命のやり取りが行われ、それができないところは経済という戦場で、豊かさを取り合い日々戦っている。
そしてその豊かさ、いわゆる富みたいなものがとある一握りの層に集まっているそうだ。
その結果かは知らないが、その「豊かさ」さえも再定義され、もしかしたら一握りの層へその他の層がリベンジするかもしれない。
そのなかで相対する勢力を皆殺しにしたとしても、それを成し遂げた勢力の中で新たな争いが生まれる。
それを断ち切る術を、人類は未だ持ち合わせていないがもしかしたら人工知能とかが出してくれるかもしれない。
しかし、その答えはきっと「人類を滅ぼすこと」だろう。きっと。
あと、僕は桃太郎一派は鬼たちを懲らしめて謝らせて、奪われた物品を取り戻した派です。
おわり。