初めてゲームというものに触れたのは多分ゲームセンター。
動物園に連れて行っても、テーマパークに連れて行っても、ゲームコーナーに行きたがる子供だったようです。
幼稚園のころは「やたらファミコンソフトがたくさんある家」に通ってなんとなくファミコンをやってました。ツインビーとかマッピーキッズだったと思います。
そして、小学校に上がろうかという年、平成が始まった直後、1990年平成2年にスーパーファミコンが発売。
♪こんにちはーこんにちわー、マリオのー国からー
というあのCMを見て、雑誌・小学1年生のスーパーファミコン特集を見て、それはそれはワクワクした記憶があります。
その雑誌にスーパーマリオワールドのヨースター島1面の全マップが公開され「この世界で遊んでみたい」と心躍らせていました。
ところが、うちは本は何でも買ってくれるけども、ゲーム機は買ってもらえない家庭。手にすることができないゲームの攻略本を買ってもらっては頭の中でゲームの画面を繰り広げていました。
そんな中、近所のスーパー「まつや」にスーパーマリオワールドを10分100円で遊べる機体が登場。頭の中で描いていた世界についに飛び込むことができました。
イメージトレーニングでのプレイと、現実のプレイを噛み合わせながら必死にマリオを走らせていました。
さらに、スーファミの前年、まさに平成元年に発売されたゲームボーイが発売。イトコが所有しておりとても羨ましかった記憶があります。
小学校にあがると「やたらゲームを持っている家」に通い詰めるように。
「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」や「ファイナルファイト」などに打ち込むようになりました。
時を同じくしてブレイクしていたのが「ストリートファイターシリーズ」。
ゲームセンターだけでなく、駄菓子屋や本屋の軒先、いたるところに筐体が設置されていました。
とあるおもちゃ屋のゲームコーナーで一生懸命「昇龍拳」の練習をしていたら、高校生のお兄さんが乱入してきて「これはしまったな・・・やられる・・・」と思ってビビっていたところ、「こっちは動かないから練習しなよ」と言ってくれました。
→にレバーを入れつつ波動拳を出すイメージ・・・そんな話を聞きながら、小学生の僕は昇竜拳を習得したのです。
小学校も高学年になり、相も変わらずゲーム機を買ってもらえなかった僕にビッグチャンスが到来。
電池6本で数時間しか駆動しないけども、フルカラー。
とてつもないマシンを手に入れた僕は、小遣いを全てゲームソフトにつぎ込んでいました。
・ベアナックル2
・シャイニング・フォースシリーズ
・ぷよぷよ
・魔導物語
などなど・・・サムスピや餓狼伝説スペシャルなんかも移植されていました。
ゲームギアで発売された最終タイトルが1996年、その2年前の1994年にプレイスターションが発売。
その当時は、姶良のリブレ(現イオン)で展示されていた3DOリアルでスパ2X(スーパーストリートファイター2X)や隼人のサティ(現イオン)にあったセガサターンでパンツァードラグーンやバーチャファイターなどを楽しんでいました。
スパ2X。豪鬼が登場したときはテンションがあがったものです。
このころはアーケード版の格闘ゲームも活況で、「スト2シリーズ」「餓狼伝説シリーズ」「ワールドヒーローズ」「サムライスピリッツ」「龍虎の拳」などをプレイしていました。
小学校高学年のときはスーファミを持ってる友達の家で「マリオRPG」や「マリオコレクション」などを一生懸命やってました。そしていよいよプレステが登場。まだメモリーカードがなかったので、闘神伝のキャラを増やしても増やしても最初からという遊び方をしていました。もちろん友達の家で。
さらに僕は、お年玉で手が届くようになっていたゲームボーイを手にすることに成功。その年に「ポケットモンスター」が発売。当時から革命的なソフトだと話題になり、僕も今はなき国分ファミザらスで発売当日にゲット。ポケモンは社会現象に発展していきました。
また、当時すでにファミコン関連のハードやソフトがかなり安くなっており、ツインファミコンを購入。当時遊べなかったドラクエシリーズやファイナルファンタジーシリーズを買い漁ってはプレイする日々でした。
1990年後半は、音楽CDもアホみたいに売れ、ミリオンダブルミリオンと景気のいい話が聞こえてきました。それと相まってか、「音ゲー」なるものがブームを迎えました。ビートマニア、ダンスダンスレボリューション・・・めっちゃ欲しい。
そんな中で1998年に「地域振興券」なるものが配布されたのです。ギリギリ中学生だった僕は地域振興券を(親に)換金してもらい、ついにプレーステーションを手に入れたのです。なぜわざわざ換金しなければならなかったのか、僕の住む町(合併前)にはプレステは売っていなかったのです。
プレステでは、ビートマニアなどの音ゲー、ドラクエシリーズ。そしてストリートファイターZERO3などをやりこみ。プレステで革命的だったのが「ときめきメモリアルForeverWithYou」と「アーマード・コア」でした。ときメモはいわゆるステータスゲーでやりこみ要素満載。美少女ゲーというよりは、やり込みゲーとして遊んでました。そして、自分でパーツを組んだ機体で3Dの世界で戦うアーマードコア、ゾワッとするストーリー性も魅力でした。
そして、いよいよPCオンラインゲーの世界に。ラグナロクオンラインです。詳細は前回の記事「僕の平成ネット史」に書いたので気が向いたらご覧ください。
知り合いがここで出会った人に「アレゲなゲームが入ったCD」を山のようにもらって、当時友人が一人だけ持っていた「焼くやつ」でガンガンナニしてみんなで遊んでいました。
さらに、このころ「エミュレーター」というアレも登場し、アレゲなデータをネットで見つけてきては、友人と共有して遊ぶ日々でした。
そして、大学入試も諦めた高3の冬、僕はプレステ2を手にしました。
同梱のラチェットアンドクランクをやりこんだところで、浪人生活に突入。
せっかく買ったプレステ2は棚の奥にしまうことになりました。
大学にあがった僕はまずニンテンドーゲームキューブを購入。コントローラー4個、スマブラ、マリオカートを揃えた我が家には連日多くの友達がやってきました。
そうこうしているうちに、ニンテンドーDSがブームに。
なぜブームになったかというと、かの蓮舫議員の息子さんも愛用していたという某ツールが流通していたからといっても過言ではないでしょう。
「あいつはアレゲなツールにやたらくわしい」
という噂が大学内に広まり、知らない他の学部の人から「どうやって買うの?」などと聞かれる始末でした。あの時、仕入れ販売に手を染めていなくて本当によかったと思います。
社会人になってからは、Wiiやプレステ3などを買って、「マリオカート」やら「ガンダム無双シリーズ」をやっていましたが、学生のように時間がなく、やりこみ派の僕はゲームの世界から離れていきました。
そして、いよいよ携帯ゲーム、ソシャゲブームの時代を迎えます。ドリランドなどが流行っていましたが、僕は怪盗ロワイヤルに熱中。課金はしてませんでしたがやりこんでいました。
それからスマホ時代に突入し、「パズドラ」がリリース。パズドラは割りと初期の頃から取り組んでおり、先日ログイン通算2010日の魔法石をもらいました。恐らく人生で一番時間、お金をかけているタイトルとなっています。パズドラのサービスが続けば、平成から次の時代にかけて遊ぶタイトルになるのは間違いないです。
あと、スマホでは荒野行動→PUBGとFPSも遊んでいます。最近は時間がないのですが、2018年は結構やりこんでました。
まぁ昭和59年生まれなりの楽しみ方はしてきましたね。
そんな僕の平成ゲーム史でした。