昔、Yahoo!チャットっていうのが流行ってて高校生くらいのころから入り浸ってました。
そこで知り合った人とは10年以上の付き合いになったり、大学時代に4年間いた広島のみなさんとずっとやり取りが続いていたり、いいこともわるいこともあった場所なのです。
そこであったお話。
24だか25歳だかのころ、ちょっと可愛い子(写メで1回だけ見ました)とやり取りをするようになり、なぜだかすごく仲良くなって。
サマーナイト花火見に行こうってなって、すごく楽しみにしてました。
どうやら、その子のマンションから花火が見えそうだったんですが今では確認のしようもないです。
ところが、花火大会の数日前からお腹が痛くてどうしょうもないということで心配してたのですが、もう我慢できないほどということで実家のある熊本から弟さんが迎えにきて帰って行きました。
病院で調べてみると、「スキルス胃がん」というやつだったそうです。
その子のお母さんはお医者さんでその子自身も看護師。
お母さんと話し合ったと治療計画を立て治療スタート。
余談ですが、医者は自分や家族には抗がん剤は絶対に使わないという話を聞きますが本当かなって今でも疑問に思っています。
その前後に胃の切除手術をするということで怖い怖いと言ってました。
最後は「まな板の鯉になった気持ちで頑張ってくる」と言って手術台に向かって行きました。
それからは他愛もないやりとりをしながら、元気になったらあれしようこれしようという話をするようになりました。
たまに自宅に帰っているというときはパソコンを開いてチャットで話とかもしていました。
そうしている間に、治療のためか体力が落ちてきてコミュニケーションがとりづらくなってきたということで、彼女の友だち・親友という子が当時流行っていたmixiからメッセージをくれるようになってきました。
だいぶ数の減っていたメール、何時間もかけて一生懸命入力していたということ、友だちにも会いたくない状態のときもあること・・・
どんな内容だったか忘れたことも多いのですが何度も「好きだよ」と。
電話しようとも思ったんですが「元気になってちゃんとあってお互いの声を聞こう」なんて話をしていました。
12月のある日、僕はクリスマスプレゼントを用意し熊本に行きました。
キクチタケオだったような気がします。サイズもわからないのに店員さんに「小柄な子なんすけど」みたいに言って選んでもらって。
場所は教えてくれなかったのですが、写メで「病院なう」みたいな投稿をしていたのでその写メを頼りに。いろいろな人に聞いたり、熊本市内中のがん治療をしている病院を探し回りましたが結局見つけられず。
疲れ果てて、そろそろ帰ろうかと思った時に今熊本に来ていることを言ってしまいました。返信はそれでも会えないごめんねと。
抗がん剤治療も長きに渡っていたので、見た目もだいぶ変わっていたというのも聞いていたので会いたくなかったんでしょう。しかもまだお互いの顔を直接見たわけではないので。
その後も次第にやり取りも減っていたのですが、泣き言を言うことはあまりなかったように思います。
ただ、たまに「なんでわたしだけ」「つらい」と言っていたのはきっと本音だったんでしょう。
そして、7月7日の朝、mixiへ彼女が亡くなったという知らせを受けました。
会ったこともない女の子の葬儀などに出る必要があるのかと葛藤し結局行きませんでした。いつか線香を上げに行きたいと伝えていた彼女の親友とも連絡は取れなくなりました。
弟さんに連絡先を聞いておけば、彼女の携帯は知っていたので電話鳴らせば誰か出てくれたんじゃないだろうか、電話して自分の声で励ましてあげればよかったんじゃないだろうか・・・
それから、ずっと彼女の連絡先はなんとなく消せずに電話帳の中に残っています。
先日、彼女の番号を通じてLINEに友だちかもリストに彼女の名前があがってきました。
びっくりしてそのアカウントを確認してみると、プロフィール写真は男性で名前も男の名前になっていたのでその人に番号が渡ったのかもしれません。
あれからもう5年以上。
mixiももうほとんど見なくなったし、携帯電話もメールではなくスマートフォンのアプリでやりとりするようになりました。
僕自身も彼女のいなくなった世界で20代後半という時間を過ごし、30代も半ばに差し掛かろうとしています。
熊本地震も彼女はどこか別のところから見て心を痛めていたことかとおもいます。
あれから何年もたってしまいました。
「僕のことを好きだと言ってくれた女の子の命日が7月7日」
という事実だけが大きな大きな記憶になったのですが、それ以外のことは徐々に頭の奥底に消えていく日々です。
最近また、がんで命を落としたという方の旦那さんが気丈にテレビで喋っているのを見て思い出しました。
愛する人が苦しむ姿に葛藤すること、いなくなってしまう喪失感。
誰もが順番に経験することですが、20代30代という人間として最も活動的になる時間にこのようなことが起るのはとても悲しいことです。
それでも残された者は生きていかねばなりません。
「生きたい」と願いながらそれが叶わなかった人の想いを背負ってなどというのはある意味利己的、本人が生きないとどうしょうもないのですが、いまを生きている僕らはそうやって生きていくしかない気がします。
おわり